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writer:佐脇未亜さん
category : ZOIDS小説

 薄日が射していた。古い礼拝堂の中、埃かそれとも剥げ落ちる漆喰の欠片か、白い粉が音もなく降り積もり、罪深い者達に代わって身を犠牲に供した男が、その足元に跪く者もないのに、彼の生まれた世界とは時間も空間も遠く隔たった場所を見下ろしている。……と、凛冽を越えて疲れ果てたような彼の表情が、変化した。正面に位置
する扉がわずかに引き開けられ、外光がじかに当たったのである。開けたのは黒い髪を後ろで一つに引き結んだ少年。利発そうな同色の目で、重い扉に息を切らせながらせわしなく中を見渡す。彼が誰も見ないと見て取るや、扉は閉ざされ、そこは再び喧騒から遮断される。
 まだ幼い少年は、息を切らせてまっすぐに駆け入ってきたが、一旦何かに気付いたように戻り、両開きの扉の隙間から外の様子を窺った。
(ぼくがいなくてこまっちゃえばいいんだ、父さんたちなんて)
 しかし彼の両親は、この界隈に軒を構える研究者と、彼がいなくなったのにも気付かずに、熱心に話し込んでいた。期待が外れて、彼は頬を膨らます。
(なんであそびに行けないのに、わざわざガイガロスに来れるのさ)
 近所にも忙しいから出かけられないというのに、仕事だからとわざわざ帝都に来る訳が、彼にはどうしても納得できない。10に満たない年齢では、無理もなかった。
しかも、ガイガロスで連れて行かれるのは、研究所や役所や薬局や、つまりお堅い場所ばかり。彼の両親は都会で子供を一人で遊ばせておくわけにもいかず、かといって家においておくわけにもいかず、仕方なく連れ歩いていたのだが……早朝家を出て、昼過ぎても彼らの用事は終わらない。これで終わりね、と言い聞かせられた家で、両親は長々と専門的な話を繰り広げ、見送られる段階になっても話は尽きず、彼の幼いなりの我慢もついに限界に来たのだった。
(もういい、父さんも母さんもきらいだ)
 少年は、再び教会の内部に視線を戻し、目を瞠った。現金なもので、途端に気分が変わる。両サイドは大きく明り取りのためだけの窓が開けられ、柔らかな光を入れている。正面には質素でありつつも品が感じられる、伝来にいわくありげな像と説教壇、古びたオルガンがあるだけだ。そんな地味でありながら凝った内装の中で、彼が惹かれたのは天井だった。高く、放射状の十二面に面積が割られて、それぞれに聖人や天使が描かれている。さらに天井は中心部分に向かって高くなり、中央にはステンドグラスで複雑な模様が描かれていた。彼は上を見上げたまま中央まで進み出た。往
時の光沢を失った床は、踏み出すごとに軋む。
「きれー……」
 ステンドグラスの真下、小さな両手に光を受けて、思わず呟く。少年のつやのある髪も、きめの細かい肌も、羽織った真っ白いマントも、赤や紫や黄や、青に染め分けられる。ガラスの向こうの太陽や雲の位置を反映して、複雑にうつろう光。彼は飽かず、それに見入った。子供にしては凝り性の、一度始めると止まらない性格である。
 と、彼の背後から、ぎいっと音がした。
「父さん!?」
 勇んで振り返り、がっかりする。サイドの扉の影から、彼より小さな子供が、身をすくませていた。秘密を見つかったような照れ臭い気分と、一緒に遊べそうな相手を見つけて嬉しい気分を少年は同時に味わった。
「おまえ、ここらへんの子?」
 ゆっくりと頭を振る、その子供はぶかぶかのマントを頭からすっぽり被っている。
「まいご?」
 また首を振る。少年が近付くと、身を縮める。
「じゃ、いっしょにあそぼう? ぼく、たいくつなんだ」
 はじめて、その子供は目を上げて彼を見た。フードと長い前髪で隠れて見えなかった瞳……それがとても不思議な深さを湛えていて、おまけにどうやら女の子であることを服装から見て取って、少年はびっくりして伸ばしかけた手を止める。少女は、彼の反応を見ると、さらに泣きそうな顔になった。誰もいないから待っていろといわれた場所に思いもかけない先客がいて、少女はどうしたらいいかわからないでいた。
「びっくりしたあ、すごくかわった目の色だね」
 気にしていることを言われて、少女の目に大粒の涙が盛り上がる。それを見て、少年はぎょっとする。
「どうかした? どこかいたいの?」
 少女の答えはない。そういえば、さっきから何も答えようとしない。
「ねえ、なにかいってよ」
 相手は、しゃくりあげるばかり。
「だまってちゃわからないよ!」
 苛立ちを含んだ声は、音響の良い礼拝堂に思った以上に大きく響き、少年は口を抑える。それでも、少女は立ち尽くして、脅えた目を少年に向けている。訴えるような目を見ているうちに、ひょっとして……と、彼の頭にある考えが浮かんだ。
「……しゃべれないの?」
 身を縮めて、頷く少女。少年はほっと息をつく。
「なーんだ、そっかあ」
 彼が見せた笑顔に少女も泣き止み、少年が再度手を伸ばせば、彼のそれよりさらに小さな手で、おずおずと握り返す。
 少年は中へ少女を導き、小首を傾げて考えこんだ。
「字はかける?」
 少女が頷くと、腰にぶら下げたおもちゃのナイフが少女に手渡される。受け取って、少女は少年の意図が掴めずに迷う。
「うーんと、えーと、あ、あのへん!」
 説教壇の階段を指差し、小走りにそこまで駆けていくと、ちょこんと腰掛けて手招きする。少女がわけもわからず、ついていくと、
「しゃべれないんなら、かきなよ」
と言う。ようやく納得して、少女は切れないナイフの先端を、白い粉が幾重にも降り積もった床に突き立てる。本当は、意思疎通の方法なら、言葉と文字以外にも持っているのだ。ただ、彼女の保護者である人物に絶対に使うなと止められていて、だからめったなことでは、ほかの人間とは接触できない。
 少年は自分の名を名乗り、彼女の名を問うた。
<ひみつ>
「ひみつ? 人となかよくしたいときは、まずなまえをなのるんだぞ、……って父さんがいってた」
<でも、ひるつは、なまえをしらないひとにいっちゃいけないって、ひみつにしなさいって>
 のたくった字を、少年は顔をしかめてどうにか判読する。
「だれ、ヒルツって。おまえの父さん?」
<ちがう>
「じゃあ、きょうだいとか?」
 これもちがうと首を横に振る。少年はしばらく彼女が説明するのを待っていたが、
その様子がないので諦めた。
「そのヒルツはどうしたんだよ」
<ようじがあるんだって。ここで待ってなさいって>
「ふーん、ぼくのところもだ。けんきゅうのようじがあるんだって」
 筆談のために、次第に額をつき合わせるような格好になっていく。
<ひるつは、ここでいちばんえらいひとにあいにいった>
「えらい人? こうてい?」
<ちがう、ぷろいつぇんってひとだって>
「うちの父さんは、ていこくで一ばんえらいのはこうていへいかだっていったよ」
<ひるつはいちばんえらいのは、ぎゅんたーぷろいつぇんだっていったもん>
「ぼくの父さんは人のためにやくにたついろんなけんきゅうをしてるんだぞ。おまえんとこは?」
<しらない>
 少年は、少女の答えに、鼻で笑った。
「じゃ、やっぱりぼくのとうさんのほうがただしいんだ」
 途端に、少女が顔を歪め、少年はまたしても慌てる羽目になる。
「なんでそこでなくんだよ」
<ただしいのは、ひるつだもん>
「ち・が・う。うちの父さん!」
<ひるつ!>
 少女は、わざわざ書くのが面倒くさくなって、文字ではなく声の出ない唇でそれを言った。
「父さん!」
<ひるつ>
「父さんだったら」
<ひるつだもん>
「ぼくの父さんはかっこよくてやさしくてあたまがよくて、とにかくえらいんだよ。
父さんのいうことはぜったい正しいんだ」
 立て板に水で喋りまくる少年に対抗しようと、ナイフを再び手に取った少女だった
が、言いたいことに手が追いつかない。しまいに放り出して、少年を怒らせる。
「なにするんだよ、あれ、父さんにつくってもらったんだぞ!」
 悔しさのあまり、目に涙を溜めて口をあけて……
「いちばんえらいのはぎゅんたあぷろいつぇんだもんっ!」
 長いこと空気しか出なかった喉から、声が発せられた。
 高い叫び声がガラスを震わせ、反響する。
 時期が、来ていただけなのかもしれなかった。
 これからも生きていかなければならない少女の生命力が、ようやく深い悲しみを凌駕し終えただけなのかもしれない。
 しかし、特殊能力で話せる彼女の保護者とは違う、同年代の少年との会話がきっかけになったことは間違いなかろう。
 言った本人はまずきょとんとし、耳元での大声に反射的に耳を塞いだ少年が、おずおずと問いかけた。
「いま、しゃべった?」
 少女はすごい勢いで首を縦に振る。
「こえ、だしてみなよ。なんでもいいから。たいせつな人のなまえとかさ」
 どうやって喋ったのか思い出せずに当惑する少女に、少年がアドバイスする。
「……ひ…るつ……すぺ…きゅらー…………に・こ・る……に…こる、にこる、にこる」
 途切れ途切れの声は、やがて明確に一つの単語として聞き取れるようになる。
「はなせるようになったんだね」
「ん」
「スペキュラーって?」
「ともだち」
「ニコルって?」
「……ともだち」
 その声が、またしても暗い響きを纏う。これ以上泣かれてはたまらないと、少年は慌てて天井を指差した。
「上! みて!」
 勢いに押されて、白い首がぐいっとのけぞる。
「わあ……」
「ね、きれいだろ?」
 天井の絵にはじめて目を留めて、少女の表情がぱっと明るくなるのを、少年は満足そうに眺めた。
「うん、きれい」
「下までいってみよ?」
「うん!」
 手に手を取り、駆け出す。
 日差しが強くなったのか、光はより一層輝きを増して、降ってくる。
 円の形をして、周囲から明るく浮き上がるその下に、二人の子供が遊ぶ。少年は黒い長い髪を揺らしてくるくると回り、少女はフードをかなぐり捨てて、髪にかかった光の色が変化する様を楽しむ。指にくぐらせ、足を踏み鳴らして、少女は光をとらえようとする。
 手を伸ばし、伸ばしても届かぬその源。
 望めば届きそうなのに、と少女は思う。
 あの天井の先までも、彼女の生まれた世界までも。
 どこかに自分の生まれた場所は存在していて、自分がいる場所を間違えているだけなのかもしれないと、まだ時々彼女は思う。
 彼女の保護者は、あの世界はもうないのだと、簡単にそれを否定するけれど。
 ガラスの障壁を越えて一瞬だけ強く輝いた太陽が眩しくて、目を細めた。
「あれはなに?」
 まだたどたどしい問いに、少年は顔を寄せ、指さす先を読み取る。少女の物の知らなさに、年下の兄弟を持たない彼は、わずかな優越感を持って、丁寧に答えてやる。
「あれは、てんしだよ」
「人にはねがはえるの? へんなの」
「てんのおつかいなんだって。しんだ人をむかえにきて、てんごくまでつれてったりとか、てんにちかい人におつげをしたりするんだってさ」
 信仰心の篤い、彼の母の受け売りである。
「しんだら、人はてんごくにいくの?」
「なんにもしらないんだなあ」
 今度こそ心から呆れて、少年は少女を見下ろした。
「ちがうもん。おそわったのとちがうだけだもん」
「しんだらいいことをした人はてんごくへ、わるいことをした人はじごくへいくんだよ」
 少女はふるふると首を振る。
「ぞいどいう゛へかえるんだっておそわったよ」
「ぞいどいぶ………?」
 聞き慣れない響きの言葉に、少年が首を傾けたそのとき。
「こんなところにいたのか、探したんだぞ」
「待たせたな、いい子にしてたか?」
 二人の待ち人が、同時に現れた。
「父さん!」
「ひるつ! すぺきゅらー!」
 少年は正面の扉へ、少女はサイドの扉へ駆け寄る。
「ごめんなさいね、つい話し込んじゃって」
 彼の母親が彼の頭を優しく撫で、
「……喋れるようになったのか!?」
 赤い髪の青年が、飛びついてきた養い子を驚いて引き離し、彼女の笑み崩れた顔を見つめた。
 そして、また同時にお互いの存在に気付く。
「君にお礼を言わなければいけないようだ」
 青年は、つかつかと歩み寄ると、彼の両親に会釈し、少年を見下ろした。少年は警戒心も露わに、父親の後ろに隠れる。
「この子と、遊んでくれてありがとう……それからこの子が話せるようになったのは、どうやら君のおかげだね」
 青年の薄笑いはどこか少年の気に障る。先ほどまで仲良く遊んでいた少女が、自分には目もくれずに、彼の方をにこにこと見上げてばかりいるのも、気に食わない。
 答えない少年の頭を、母が軽く小突いて、体ごと前に押しだした。
「申し訳ありません、人見知りする子で……」
「いいえ」
「妹…さん? どうかなさったんですか?」
 青年と、自分のことが話題になったと気付いて彼の背中に隠れる少女の色素は、見事に対照を為している。血縁には、見えない。
「親しい子供を、目の前で殺されましてね。その精神的ショックで、言葉をなくしていたのですよ。今日、ここで別れたときまでは確かに話せなかったんですが、言葉を取り戻したらしい」
「まあ、ひどい目にあったんですね……」
 母親は口元を抑えて呟いた。
「そのお嬢さんに、これからも神の祝福のあらんことを」
「ありがとう、お坊ちゃんに何かお礼を」
「いいえいいえ、うちの子が何かしたにせよ、それはきっかけに過ぎません。治ったのは、そのお嬢さん自身の力でしょう」
 手を振って、断っていた父親だったが……青年の入ってきた扉の方を見て、凝固する。
「オーガノイド!?」
 青年が舌打ちしたのを、少年は見逃さない。扉から、青いオーガノイドがあわてて顔を引っ込める。
「よくご存知だ……ゾイドにはお詳しいのですか?」
「ええ、私どもはゾイドの研究をしていましてね。なんでこんなところにオーガノイドが……」
「ほう、オーガノイドの研究もなさっている。それはなかなかサンプルが手に入らなくてお困りでしょう」
「それが、これはまだ正式に報告していないことなのですが、今うちにオーガノイドのカプセルがありまして……」
「あなた!」
 興奮に身を任せ、喋り続ける彼は、冷静な妻に止められ、苦笑いを見せる。
「……熱くなりすぎましたね。今、喋ったことはお忘れ下さい。私どものような一介の研究者では、知られようものならすぐ国に取り上げられてしまうでしょう。でも私は、なんとしてもオーガノイドの秘密が知りたいのです」
「いいえ」
 青年の語調がわずかに変化したのを聞き逃さず、少女は不安げな顔をする。
「あのオーガノイドは、我々が極秘任務でさる方面から預かっているものです。よろしければ、研究に一時だけお貸ししますが……?」
「本当ですか?」
父親の顔が喜びに輝く。
「ええ、本当です。そのかわり、といってはなんですが、そのオーガノイドを見せていただくということで……よろしいですか?」
「もちろんです! ありがたい。オーガノイド二体を並べて比較研究ができるチャンスなど、めったにあるものではありません!」
「後日うかがいます。そちらの研究所の場所は……?」
「ええ、では……」
 少年と少女は、意図せずして視線を交し合った。お互いの目に暗い感情を読んで、さらに顔を曇らせる。少女は何故青年が彼女の対のオーガノイドについて嘘をつくのかわからなかったし、少年はただこの青年が気にいらなかった。しかし、二人ともに、事態を止める権利は与えられていない。
 やがて話が成立すると、少年と少女はまた近いうちに会えるのだからと言い聞かせられ、名残惜しく、それぞれの扉から別れた……その後10年あまりの時を経ねば交わらぬ、分かたれた道へと、扉を開けた。


「こんなところで手がかりが見つかるとはな」
 珍しく心から嬉しそうな彼を、少女はきょとんと見上げた。問うてくる目に、答えてやる。
「長らく見つからなかった私の対のオーガノイドが、あの少年の両親のところにいるかもしれないのだよ。そうだ、今夜行ってみよう、アンビエントなら私に反応するはず」
 あの夫婦がどうなろうが知ったことではない、との言葉を彼は呑みこんだ。
「すぺきゅらーとおなじ?」
「そうだ。お前のスペキュラーと同じように、私にはアンビエントというオーガノイドがいるのだよ」
「よかったね、ひるつ」
「ああ、よかった」

悲劇の前の一時。
全てを見ていた十字架の上の神の子の表情に、また少し、疲労の色が濃くなった。