HOME > ZOIDS > 『彼氏と彼氏の事情』

writer:日向麗さん
category : ZOIDS小説

 僕は・・・僕はどうすれば良いんでしょう?
 途方に暮れたルドルフ・ゲアハルト・ツェッペリン三世は、夜空に浮かんだ双子月を見上げて溜息を吐いた。
 プロイツェンの野望の前に無力にも皇位を追われつつある悲劇の皇太子は、盗賊団デザルトアルコバレーノの頭目ロッソとヴィオーラに救われ、その後も皇位継承の印章指輪のためにその命をつけ狙われていた。
 そして今はバンたちと共に帝都ガイガロスを目指していた。



 それは、とある日。
 まだ帝都は遠く、そしてこのところ野宿が多かったために、とうとうムンベイが切れた。
「やっとまともな町に着いたってぇのに、宿に泊まらないでどーすんのよ!」
「あのなぁ、ムンベイ」
 いつもの口調でアーバインが彼女に反論をする。彼の言いたいことはムンベイにも分かっている。だが、こればかりは譲れないのだ。(だって女の子なんだもん)
 もう2週間もお風呂に入っていない。こんなことが女の子に許されるわけがない。
今日こそは柔らかいベッドの上で就寝できないと美容にだって悪い。
 私の美貌が損なわれたら、それこそ世界の損失なのよ!分かっているの?アーバイン。
 ムンベイは絶対に泊まるんだからと言う意気込みを込めて、アーバインを睨み上げた。
 藤色の隻眼がじっと彼女の表情を見ていた。彼の左眼はスコープのついた眼帯・・・ギミックアイに隠されている。その顔は眉間に皺を寄せて険しいものになっていた。
 やがて彼は結論を出す。
 どんなに今の状況を話したとしても、彼女の決意を変えることは出来まい。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 アーバインは説得することを諦めた。そしてせめてもの苦言として呻くように呟いた。
「これだから女って奴は・・・」
 理解に苦しむ。
 溜息を吐きながらも宿を取ることを承諾する。
 ムンベイの顔がぱっと明るくなった。
「やった。じゃ、そこそこの宿を見つけなくちゃね。出来るだけお風呂が大きいところ。
行くわよ、フィーネ」
「はぁーい」
 なんだか良く分からない使命感に燃えているムンベイは、フィーネを引き連れて宿屋を探しに行ってしまった。
「・・・って、俺達はどうすれば良いんだよ?」
 既に跡形もなくいなくなっているムンベイ達にぼやく、バン。
「とにかく、そこら辺でもうろついていれば戻ってくるだろう?」
 アーバインが肩を竦めて答える。
「そこら辺って・・・何処だよ」
「だから、そこら辺だよ。丁度、市が立っているようだしな」
「え?市・・・って、なんですか?」
 バンとアーバインの会話にルドルフが興味を示して入ってきた。
「なんですかって訊かれても・・・。なぁ、アーバイン」
 バンはぽりぽりとこめかみの辺りを指で掻きながら、年嵩の青年を見上げる。彼にとっては市は市で、説明するべきことではないのだ。あるがままを受け入れる生活していて、当たり前のことに対して、それがどんなものなのか説明を加えるなどという高等技術は彼の中にはない。
 いつも通りの黒のつなぎ、腰にガンベルトを吊っている青年は腕を組み、そんなバンの様子に苦笑する。
「色々な人達が自分の商品を持ち寄って、商売している場所だ」
「お店・・・のことですか?」
 小さな皇太子は、その素性がばれないようにと少女のような格好をさせられている。
長い髪は二手に分けて三つ編みにしてあるので、喋らなければ結構可愛い女の子のようだ。
 ルドルフが首を傾げている様子に、理解の度合いが違う気がしたアーバインが修正を加えた。市の方を指し示しながら説明する。
「ニュアンスが違うな。店とは言っても、そら。そこでやっているみたいにテントを張って品物を並べているものもあれば・・・。あっちみたいに荷台をそのまま商品棚に使っていたりする。店には違いないがルドルフの思っているものとはずいぶん違うんじゃないのか?」
「そうですね。僕はきちんとした建物がいっぱい並んでいるのかと思ったので・・・。
そうですか、これが市というものなんですね」
 アーバインの説明に感心しながらルドルフは市の方を見つめている。その瞳は好奇心に満ちていて、いつもの理路整然とした皇太子の仮面が外れている。
 何だかその様子がバンには気に入らなかった。まるで二人に除け者にされたように思えたのだ。
 それに気付いたアーバインがニヤニヤと意地の悪い笑いを浮かべた。
「なんだ、バン。頬を膨らませやがって。拗ねてんのか?」
 見抜かれて顔を真っ赤にするバン。
「うっせー。ジーク、行くぞ」
「キュキュルキュー、キュ?」
 ジークも少し困ったように小首を傾げてから、ずんずんと歩いていく主人の後を追う。
 それに気付いたルドルフが慌ててその後を追おうとする。
「あれ?バン。何処に行くんですか?」
 アーバインはくっと喉の奥で笑ってから、ルドルフの襟足を摘んだ。
「ひゃっ」
 ルドルフはまるで猫の仔のようにプランとアーバインにぶら下がってしまう。自分の状況に気付いて足をばたばたさせ始めると、すとんと軽く地面に足がついた。きょとんと見上げれば、右目を細めて笑うアーバインの視線に当った。その時ルドルフは初めて、彼の瞳の色が薄い紫色であると知った。
「お前まで慌てて行くことはねぇぜ、ルドルフ。あいつは、ちょっと拗ねてんだよ」
「拗ねる?・・・?・・何故です?」
「さあねぇ。なんでだろうなぁ」
 あいつもガキだからな。
 アーバインは楽しげに空惚けてみせる。
 ルドルフには上機嫌の彼の様子が不思議に思えて、小首を傾げている。
「いいんだよ、ほら。市を見に行くんだろう?」
 今度はアーバインに背を押されて、市の方へと歩き出す。
 何故だろう。
 ルドルフはどきどきしながら、横を歩くアーバインを見上げる。
 二人きりで歩けるのが、こんなに嬉しい。
 ルドルフはうきうきしながら先ほど自分を掴み上げた右腕に身体ごと掴みかかった。
「なにやってんだ?お前」
 アーバインに軽々持ち上げられてルドルフはにっこりと笑った。
 ここにもガキがいたか・・・。
 青年は呆れながら口の中で呟いた。考えてみればバンよりも年下だ。言葉遣いが丁寧で冷静そうに見えるのでつい忘れがちだが、この少年はつい先日、唯一の身内である祖父を亡くしたばかりの天涯孤独の身の上だった。
 アーバインの表情が曇る。
「どうかしましたか?アーバインさん」
「いや、なんでもねぇよ」
 はしゃいでいたルドルフは、急に態度の変わったアーバインの様子に困惑する。
 そして子の前向きな少年は考える。
 もしかして、自分が何か彼の気に障ることをしたのだろうか?
「・・・あの、・・すみません」
「ああ?」
「・・えと、僕が何かしたんですよね?」
「はぁ?」
 何を言い出したんだ?こいつは。
 どうも子供のあしらい方を知らないこの青年は、自分の態度でルドルフが一喜一憂して
いるのが理解出来ないらしい。
 柳眉を寄せて少年を見る。それがまたルドルフを悲しませるとは思いもしない。
「あの・・・あの・・。本当にすみません」
 深々と頭を下げられて、アーバインが取った行動は。
「・・・わっ、わっ、・・わっ。アーバインさんっ」
 ひょいと肩まで担ぎ上げられてルドルフは目を白黒させる。要するに肩車だ。視界が変わって、少年の前には市の全容が広がった。
「もっと気楽に楽しめよ、ルドルフ。次に何処で見れるかわか分からねぇんだぜ。面白い物があったら買ってやるから」
「え?そんな。悪いですよ、アーバインさんに」
 青年の提案に恐縮してルドルフは首を振る。
「ばぁか、遠慮なんかすんな。子供はもっと素直にありがとうって言いな」
 間近で見た薄紫の瞳は優しげで、ルドルフは満面の笑みで持ってそれに答えた。
「はい!ありがとうございます」
「いい返事だ」
 アーバインの手ががしがしとルドルフの頭を乱暴に撫でた。
 少年は嫌がる様子もなく、はしゃいだ声で笑った。
 しばらく青年の肩の上から市をひやかしていた少年が、陽の光にキラキラと乱反射する物を見つけてアーバインの額に巻かれたバンダナの裾を引っ張った。
「あれはなんですか?」
「あれ?ああ、あれは・・・」
 少年が指し示した方に視線を向けると、確かに一際賑やかな光が目を引いた。色とりどりの透明な石達が陽の光を弾いている。ガラス珠を連ねた首飾りが店先にたくさん吊られている。
 ムンベイやフィーネならばその店先に立っていても不思議ではない。アーバインは躊躇した。
 ちらりとルドルフの様子を見れば、興味津々といった視線を送っている。考えてみれば今は少女のような服装をしている彼が一緒ならば、自分があの店先に立つのはそう不自然ではないだろう。だが、こんな店で何が少年の気を引いたのだろうか?
「欲しいものでもあるのか?」
 アーバインは困惑したように尋ねた。
「いえ、フィーネさんにお土産にしたらいいなぁと思って・・・」
 実はルドルフが見ていたのは、その横にあった紫色に輝く石が一つついた鎖だったのだが・・・。
「フィーネに・・・か。・・・・ま、・・いいんじゃねぇか。お前からの土産ってことにしておけよ」
 ムンベイに邪推されるのは適わねぇからな・・・。
 どうも彼女はアーバインがフィーネを可愛がっているのを、恋しているものと勘違いしているらしい。見当違いも甚だしいと立腹はしているものの、彼女にどう弁解しても言い訳がましく思われるだけだ。仕方なく放っておいている。
 誰がロリコンだっての。まったく、あいつは・・・。
 いい加減、ムンベイの奥歯に物の挟まったような物言いには辟易していた。
 ふうと溜息を吐く青年の心の葛藤など知らないルドルフは困ったように彼を見つめるばかりだ。
「どれだ?」
 重くなった気分を散らすように少年に向けて尋ねる。
 すると遠慮がちに先程から一際紅い光を放っている勾玉型の小さな石が連ねられた首飾りを指す。視線はその横の紫色の石の方にあったのだが・・・。
「その紅い石の奴と・・、その横の鎖もくれるか?」
「え?」
 アーバインが紫色の石のことを指して両方分の金を払うのを、少年は驚愕の思いで見ているだけだった。
「ほら、?・・どうした?」
 別々に包んでもらった紙袋を少年に渡す。そこでやっと彼はルドルフがとても驚いた顔で自分を見ていることに気付いた。
「何で・・・分かったんですか?」
 どうしても知りたいと思った。この人は魔法使いなのかと。
 アーバインは当たり前のように答えた。
「欲しそうに見てたじゃねぇか、違ったか?」
「いえ、違いませんけど・・・」
 そんなに見ていたのだろうか?でも、欲しかったことは本当だから、とても嬉しい。
それを買ってくれたのがアーバインだから。なお嬉しい。
 紫色の石。それはアーバインの瞳の色によく似ていた。
「ありがとうございます。大切にしますね」
 とても嬉しそうにルドルフは紙包みを掌の中へと仕舞いこむ。
「あ゛ーーーーーっ」
 なにごとか?とアーバインが視線を投げると、頭一つ大きなジークの足元にバンがこちらを指して叫んでいた。
「うっせぇぞ、バン」
 うざったそうに顔を顰める青年のところまで駆け戻ってきたバンは不満たらたらで彼を睨み上げる。
「なんだよ、アーバイン。ルドルフにばっかり・・・。俺にもなんか買ってくれよ」
 結局言いたいことは、それかい。
 子供っぽい僻みに辟易する。なんでこんな奴と一緒に旅を続けているのだろうか?自分は。投げやりな言葉にそんな心情が滲み出ていた。
「自分で買えばいいだろう」
「贔屓だ、贔屓だ」
 ぷっと頬を膨らませているバンに、おろおろとルドルフが謝る。
「謝るな、ルドルフ。お前は悪くねぇだろう。バン、お前も駄々捏ねてんじゃねぇ。
これはフィーネへの土産だ」
「フィーネの?」
 まだ訝しげな視線でいるバンは、ルドルフに尋ねる。
 それは嘘ではないので、少年は慌てたように何度も首を縦に振った。
「そうだ。お前もムンベイにでもなんか買ってやったらどうだ?」
 畳み掛けるようにアーバインが提案する。
「そっか、そうだな。アーバインがお代は出してくれるんだろうし・・・。よし」
 気を取り直したように勝手に青年から代価を出してもらうつもりで、バンはそこいらの店を物色し始めた。
 青年は何も言わない。どうやら、バンの選んだものにも金を払うつもりらしい。
「すみません、僕のために・・・」
 ルドルフはアーバインの肩の上で、しょぼんと自分の肩を落とした。
「お前は真面目すぎだな。バンは不真面目すぎだが・・」
 アーバインがそう言って笑った。
 少年は笑う青年の顔を凝視していた。
 目が離せなかった。ずっと見ていたいと思った。
 胸がどきどきと鳴っていて、顔がかあっと熱くなる。
「どうした?ルドルフ」
「・・あっ・いえ・・・あ・の・・その・・・」
 しどろもどろになって慌てているのを不思議そうに見つめられて、ルドルフは困りながらも嬉しくてニコニコと笑い返してみた。
「ま、なんにせよ。楽しまないと損だぜ」
「そうですね」
 この人と話せることが嬉しい。目が合うとあの綺麗な瞳に自分が写し取られているのが間近であるために分かって気恥ずかしいくらいにはしゃいでしまう。
「アーバイ―ン。これこれこれ。これがいい」
 バンが手を振って二人を呼ぶ。
「やれやれ。何を買わされることやら・・・」
 渋々といった素振りでアーバインがバンのいる店へと向かう。
 なんだかんだ言って、結構面倒見の良い青年であった。
 ルドルフは彼の肩の上で揺られながら、楽しげに市の店を覗いていた。


 ムンベイの見付けてきた宿屋はさほど高そうでもなく、また胡散臭いものでもなかった。
 皇太子のルドルフがいるとはいえ、その身分は伏せられているし、また命を狙われていることを考慮して、街の中ほどにあるこの宿屋となったようだ。
「まぁ、そこそこなんじゃねぇの」
 アーバインそう言いながらも、部屋まで案内される間も周囲に気を配っていた。
 期待よりも広い部屋に喜んでいるムンベイやバンと違って、彼は如何様にも対応できるように宿の構造を見て回ったりした。
「でしょでしょ?私もいい仕事したぁ!・・・て感じなのよ」
 はしゃいで同意を求めてくるムンベイに、青年は苦笑いを浮かべる。
 結局落ち会った時にルドルフとバンから渡された物を見て、彼女は過たずアーバインに視線を移してニヤリと笑ったのだ。
 ちっ、バレてやがる。
 アーバインはばつが悪く、そっぽを向いてそれをやり過ごした。
 食事を済ませた5人は男部屋と女部屋に分かれた。
 ルドルフは既にベッドに懐いていつ眠りに就いても可笑しくないバンを揺さ振っていた。
「バン。僕、ムンベイさんに言われてるんですから、起きて下さい。せっかく宿に泊まってるんですから、お風呂に入らないと」
 一生懸命揺すってみても、バンはむにゃむにゃと夢の中へと落ちていく。
「バン~、起きて下さいよぅ」
 泣きが入ってくる。怒られるのはルドルフなのだ。いや、結局バンも拳骨をお見舞いされるはずなのだが。
 仕方なくムンベイ達のいる部屋の扉をノックする。
「あら、ルドルフ。どーしたの?あんた」
 濡れた髪をタオルで拭きながらひょっこりと顔を出したムンベイから香る石鹸の匂いにドキドキしながらルドルフは事の次第を彼女に語った。
「やれやれ、あのガキは・・・」
 ムンベイはどっと疲れた表情で拳に力を込める。
「どーしましょう?」
 途方に暮れた少年を見て溜息を吐く。
「しょうがないわねぇ。アーバインはどーしてるのよ」
「今、お風呂に入ってるんですよ」
「なんだ、それならあいつに入れてもらっちゃいなさいよ」
 どきりと心臓の音が跳ね上がった。
「え?僕、一人でも・・・」
「いいじゃない、一人で入るよりは楽しいわよ」
 気安く言ってくれる彼女の気遣いはいいのだが、どうしようかと考えてしまう。
「大体、あんたがこんなところを一人で歩いているの見たら、それこそあいつ怒り出すよ、きっと」
「え?」
 何故そんなことで怒られるのか、まったく思いつかないルドルフはムンベイの顔を見上げる。
「アーバインには言わないでね。あいつ、結構、気を使ってるのよ、あれでいても。今日だって、宿の中をずっと調べて回っていたのは、夜襲をかけられた時にどうやって逃げるか考えるためだし・・・。部屋の中でだってルドルフのベッドを真ん中にしたりとかしてない?」
 言われてみれば、そうだった。
 あの青年は確かにいつも彼のベッドを二人の間に置く。
「あれだって、窓から、扉から、敵が入って来ても対処できるようにしてるつもりなのよ。実際そうするだろうしね」
「・・・そうだったんですか」
「あたしが言ったって事、内緒よ。あいつ、そういうの苦手だから。あんたも気付かない振りして守られちゃいなさい」
「でも・・・」
「いいのよ。あいつがやりたいようにやってるんだから」
 ムンベイが優しい瞳で微笑んだ。彼女もこの遠慮深い少年が好きだった。守ってやりたいと思う。
「さ、とっとと行かないとアーバインも風呂から出ちゃうよ」
 早く行きなさいと促せば、少し困ったように顔を赤くしている。
「・・・・・分かりました。行ってきます」
 何やらただならぬ決意をした様子に、彼女は困惑する。
 そんなにアーバインと入るのが嫌だったのだろうか?
 とっとっとっ・・・そんな擬音が丁度いい感じに走り去っていくルドルフの後ろ姿を見送って、まぁいいかと思い直した。


「で、風呂に入って来いと?」
「ええ、バンがお腹一杯食べ過ぎたせいで、後から入りにくると言うので・・・」
 既にシャワーを浴びていたアーバインは、湯気の立ち込めるカーテンの向こう側。
「ま、いいぜ。俺はもう出るからな。風呂の湯を張ろうか?」
「え?アーバインさんはお風呂を使わないんですか?」
 シャワーカーテンの向こう側の声は、ちょっとくぐもって聞こえてくる。
「なんだ?一人で入れないとか言わないでくれよ」
「いえ、そうじゃないんですけど・・・」
 アーバインと入りたかったルドルフは、がっくりと項垂れた。
「なんだよ、はっきり言え」
「・・・・」
 一緒に入りたいなんて言ったら、どう思われるか。
 ルドルフは困ったようにシャワーカーテンの向こうの陰を見つめた。
 首に掛けたフェイスタオルで髪の滴を拭きながら顔を出したアーバインを見て、少年は目を見開く。
「?・・・なんだ?鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をして」
 洗い髪が額に張りついている。
 バンダナはなく、勿論ギミックも外している。
 気になったのはアーバインのこめかみにある引き攣ったような傷痕と、それから薄紫の瞳が一揃い。
 一つでも綺麗と思っていた瞳は両方ともきちんと揃っていた。
「アーバインさんて、左眼もあったんですね」
 思わずそう言ってしまってから失言であったと、ルドルフは情けなくなった。
 言われた青年の方は、きょとんと目を見開いてから「ああ・・・」と納得した様子だ。
「いつもギミック付けてるからな。義眼でもねぇ。自前の眼だよ。そう言えばルドルフには見せたことがなかったんだよな」
 ルドルフのような反応は、彼にとって日常的なものだったのだろう。あまり気にした様子もない。
「バン達は知ってるんですか?」
 こんな重要な秘密を!
 少年の意気込みに押されるように、アーバインが答える。
「・・・っつうか、別に見せて回ったわけじゃねぇからなぁ」
 多分、知ってるんじゃねぇか?とよく分からない返事だ。
「いつもつけてるんですよね、その眼帯。眼が悪くなったりしませんか?」
「んー」
 少し考えるようにして、アーバインは左眼を細めた。
「そうだな。俺の第2の目みたいなもんだからな。裸眼だとちょっとぼやけるのは確かだな」
「やっぱり・・・。気をつけたほうが良いですよ」
「何をだ?」
「せっかくの綺麗な眼なのに失明しちゃうかも知れないじゃないですか」
「そっかー?取り敢えず、もう4・5年付けてるけど、一応見えるぜ」
「でも、心配です」
 アーバインが黙り込んだので、怒ったのかとルドルフは彼を見上げた。
 穏やかな薄紫の瞳と出会い、少年は胸が高鳴るのを感じた。
「サンキュー。心配してくれて」
「・・は・・・いえ・・。と・・当然です・・・。僕達は仲間なんですから」
 とても愛しそうに微笑むアーバインを前にルドルフはカアッと身体が熱くなって自分でも何を言っているのかさっぱり理解不能な言葉を告げる。
 そんな少年の様子にアーバインは面白そうに笑みを重ねた。
「ほら、そんなとこに突っ立ってると風邪をひくぜ」
 シャワーカーテンを開いてアーバインがルドルフに向かい手を差し出す。
 一糸纏わぬ彼の身体を見て、もう少年の感情は限界を迎えていた。
 フラリ。
「・・お・・・おい、ルドルフ?」
 ぐったりとした少年が倒れるのを片腕で阻止して、引っ張り起こす。
「お前、風呂にも入ってないのに、湯辺りでもしたみたいじゃねえか。大丈夫か?」
 真っ赤な顔をした少年を抱え上げて、困惑したアーバインの顔がアップになって・・・。
 こつんと額と額が当った。
 得をしたと思うべきか、これ以上刺激しないで欲しいと思うべきか。それが問題だ。
 ルドルフは気を失いそうにならながらそんなことを考えていた。
「熱はねぇな。風呂はやめるか?」
 尋ねてみると少年は気を失っていた。
「なんなんだよ、俺のせいかぁ?」(その通り。作者談)
 途方に暮れたアーバインは顔を顰めて、まだ濡れた身体をそのままに少年を抱えてバスルームから出た。

 ルドルフはぼんやりとした意識の中で、広い背中を見つめていた。
 いつの間にかベッドの上に寝かされて、服も寛いだものに着替えさせられていた。
隣のベッドからは安らかなバンの寝息が聞こえる。
 暗い室内に浮かび上がった白い背中の中ほどに紅く浮かび上がった刻印があった。
 シャワーを浴びたせいで体温が上がったために浮き上がった古傷のような痣。鳥のような意匠と稲妻、そして細身の剣のようなものが見えた。
 それを見たことがある。
 そう思ったルドルフは何処で見たのか記憶を探った。手探りの指先に触れたその紋章は・・・。
「え?」
 少年はまどろんでいた感覚から急激に覚醒した。思わず半身を起こしてしまうほどに驚愕していた。
「お、起きたのか?ルドルフ」
 気配に振り返った顔はアーバインだった。少年の鳶色の瞳が心配そうな青年の顔を映している。
「どうした?気分が悪いのか?」
 ベッドサイドまで近付いてきた彼は少年の額に手を当てる。
「熱はないみたいだな。どうだ、苦しいところはあるか?」
 アーバインは彼の具合が悪いものと思っているらしい。
「アーバインさん・・・」
 恐る恐る確かめるようにルドルフは彼の名を呼んだ。本当にそこに居るのが彼であるのか不安に狩られた。喉の奥が干上がって嗄れた声で彼を呼んでいた。
「ん?」
 優しい紫の瞳がそこにある。
 ルドルフにはどうしようもない感情があった。
 そして、今、知ってしまった事実があまりにも重くて、視界が歪む。
「苦しいのか?ムンベイに言って、薬、もらってこようか?」
「大丈夫です。今日、ぐっすり眠れば、きっと・・・明日には」
「そうか?」
 まだ心配げな青年の様子に少年は無理にでも笑って答える。
 ・・・聞くことは出来ない。その答えに畏怖を感じる。
 ぎゅっと目を閉じる。このまま見なかったことに出来れば、どんなに良いだろうか。
 惹かれている、この青年に。
 だのに、こんな・・・こんな裏切りがあろうとは・・・。
 肩まで引き上げた布団を一定のリズムで叩かれる。まるで子供をあやすようなその様子に涙が零れそうになった。
「・・・もう、眠ったのか?」
 静かな口調で尋ねられて、少年は答えなかった。
 信じたい。信じたいのに・・・。
 気配が遠ざかる。それを寂しいと思う自分がいる。
 それでもルドルフはじっと身じろぎもせずにいた。直に隣のベッドからも寝息が伝わってきた。
 アーバインの背中にあった痣のような刻印。それは・・・・・たしかにプロイツェン家のものだった。気のせいというには妙な符号だ。だが、彼がプロイツェンの配下であるという確証はない。
 ムンベイやバンすらも欺いているのだとしたら・・・。
 そう考えて胸が苦しくなった。彼を慕う自分の心が締め付けられる。
 しばらくの間、彼の動向を探るしか手はないだろう。
 これこそが悲劇だと思った。皇帝になれなくてもいい、彼と一緒にいられるのなら、このまま旅を続けたい。
 そう思い始めていたその矢先の衝撃。
 彼にそんな素振りはない。けれども、それこそが芝居である可能性も否定できない。
 疑心暗鬼の闇の中に放り込まれたルドルフの嘆息を、狸寝入りの青年が聞いていた。
 夜は更けていく。それぞれの思いを包み込んで・・・・。
END?