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writer:止眼業一さん
category : ZOIDS小説

 闇を背景に霧雨が降り注ぐ。
決して強くはないが、身体の芯まで凍えさせるような雨だった。
湿った冷気は廃屋同然の国境監視所の中にも忍び込んでくる。捨てられた国境監視所は、かつて、バンを倒すために、レイヴンがジェノザウラーで駆け抜けた路傍にあった。
 外では霧雨の中、スペキュラーが歩哨のように黙して立っている。

火がはぜていた。
レイヴンは虚ろな黒い瞳で燃え盛る炎を見つめる。
 幾つの夜をこうやって過ごしたのだろうか。しかし、今夜は自分の過ごしたどの夜とも違う。全てを失った。全てを賭けて乗りこなそうとしたジェノブレイカーは今や大破し、シャドーはもはやいない。
なぜ、もっと早く気づかなかったのか。両親を殺したオーガノイドが自分の相棒という事実は、途方もない皮肉だったかもしれない。しかし、そうだとしても、シャドーは自分に尽くしてくれた。その命を投げ出してまでも。ジェノブレイカーを駆り、バンを倒すという自分の願いを叶えようとしてくれた。
 今にして思えば、シャドーが進化させたジェノブレイカーは、かなり「無理」なゾイドだった。デスザウラーにさえ匹敵し、空中発射可能な荷電粒子砲。ブレードライガーのシールドと同等のEシールド。格闘戦と防御の強化を兼ねたエクスブレイカーとフリーラウンドシールド。さらにジェノザウラーに比べ、数倍の滞空時間と跳躍能力をもたらした強化スラスター。パルスビームライフルの代替として脚部に装備された重機関砲。正に最強のゾイドだった。だが、最強を追求した報い、ジェノブレイカーの過重装備の代償は全てシャドーに回され、シャドーには限界がおとずれた。
ジェノブレイカーは両刃の剣だった。敵を滅ぼすと共にオーガノイドの魂を喰らうゾイド。
 いや、本来ならば、ジェノブレイカーはオレの命を喰らっていたのかもしれない。
だが、シャドーに甘え、ジェノブレイカーの力に酔いしれていた自分は、そのことに気がつかなかった。シャドーは、とっくに全てを理解し、その上で、最後のその瞬間まで、自分のために戦ってくれたのに。
 なぜ、もっと早く気がつかなかったのか。
ふと、ヒルツの嘲るような声が蘇る。
 「シャドーがいなければ、荷電粒子砲はおろか、シールドすら張れないのではないか?」
 その通りだった。
両親を殺したゾイドとシャドーを憎みながら、ゾイドとシャドーがいなければ何もできない自分。
 オレはプロイツェンに震えながら銃を向けたあの時と変わらない。
 それに、レイヴン。それは自分の名前ですらない。あのプロイツェンにつけられた忌まわしい名前に過ぎない。
 オレには名前すら無い。今度こそ本当に何も無くなってしまった。オレには。
 リーゼもレイヴンと同じように、焦点の定まらない青い瞳で、炎をみつめ、膝を抱えていた。ニコルを殺し、自分を排除した世界をリーゼは憎んできた。憎悪が全ての源泉だった。リーゼの憎しみは、本来、自身が嫌悪し、封印しようとしていた能力を目覚めさせた。他人の精神に干渉し、意のままに操る能力。力を使い、他人を痛めつける度に、憎悪が青白い炎となり全てを燃やしていくのが、見えるような気がした。
それは例えようもない快感だった。その時だけ、自分が生きているという荒々しい実感を存分に味わいつくすことができた。
 だが、今となっては、それも虚しかった。
 なぜだ。ヒルツ?なぜ、もう僕はいらないんだ。あんたは僕が必要なんじゃなかったのか?
 一見、距離を置いているように見えても、ヒルツは常に自分を必要としてくれているように思えた。ことあるごとに、ヒルツは自分に声をかけた。「君の能力に期待している」と。
自分自身が期待されているということは、リーゼにとって新鮮な経験だった。口にこそ決して出さなかったが、嬉しかった。
 だが、デズスティンガーを手に入れた瞬間、ヒルツはあっさりリーゼを捨て去った。
正直、わからなかった。なぜ、ヒルツが自分を捨てたのか。
 僕が使い潰したゾイドのように、いらなくなれば、捨てるのか?
わからないといえば、ニコルのこともわからなかった。
 ノーデンスの村で見たニコルの哀しげな顔。あの表情が脳裏に焼き付ついて離れない。夢にさえ出てくる。そして、夢の中のニコルは決して笑顔を見せてはくれない。
 どうして邪魔をしたの?あいつらが君を殺したのよ。どうして喜んでくれないの?
どうして、いつもいつもあんな顔するの?どうして?ニコル?
 村の人間は誰一人として、自分とニコルを助けようとしてくれなかった。あの瞬間こそバン共々、村そのものを葬り去る復讐の絶好の機会だったのに。
 だが、考えることすら、次第に疲れてきた。ひどく寒い。昨日から何も食べておらず空腹でもあった。ヒッチハイクしたグスタフから、精神波を使いだまし取った雑嚢を開け、小鍋と保存食の粥を取り出す。鍋を火にかけ、湯を沸かし、粥を煮る。
 「食べろよ。おなか空いただろ」
粥の入ったカップを差し出す。レイヴンはかぶりを振った。仕方なしにリーゼはカップを置き、自分だけ粥を啜る。
 レイヴンとリーゼの視線がふと交錯する。
 「お前は、人の心が覗けるんだろう。どうしてヒルツの裏切りに気がつかなかった?」
 リーゼはカップを置いた。
「覗きたくない時は覗かない。ヒルツは……あれでも仲間だと思っていたから。それに、好きで身につけた力じゃない」
 リーゼの瞳が突然、青く輝いた。その瞳にレイヴンは吸い寄せられる。青の中に自分の魂が引きずり込まれていく。無意識のうちに捨て去っていた自分の過去の記憶を呼び覚まされたあの時と同じだった。戦慄が身体中を駆け抜ける。
 だが、流れ込んできたのはリーゼの記憶だった。ニコルという名の少年と無邪気に笑っているリーゼ。共和国軍調査部隊により、連れ去られようとしたリーゼを庇い、射殺されたニコル。収容された研究所で強いられた実験体としての辛い生活。スペキュラーとの出会い。研究所職員を皆殺しにして、スペキュラーと共に成し遂げた脱出。あてどなく荒野をさすらうリーゼに手を差し伸べたヒルツ。
 「あの時は悪かったよ。ごめん」
リーゼは何かに脅えたような顔をして、レイヴンを見つめている。
 「これで帳消しというわけか」
 レイヴンは呟いた。何も言うつもりはなかった。リーゼはわざわざ己の痕をえぐり出し晒すことで、自分の過去を暴き出したことを償おうとしたように思えた。
 そんな形でしか思いを表せないリーゼに対して、レイヴンの中に今まで感じたことのない不可思議な感情が沸き上がってくる。今の今まで、自分につきまとってちょっかいを出す五月蝿い奴、自分を利用しようとする油断のならない奴、という印象しかなかったのに。
 こいつもオレと同じだ。無くし、憎しみ、力を求め、そして再び失い。
 本当は欲しくもなかった帝国軍エースの地位。最強のゾイド乗りとしての名誉。悪魔とまでに畏怖されるまでの存在。自分の手にした強大な力を心の奥底では嫌悪しながら、それにしがみついてきた。囚われていた。その力だけが自分自身の証と思いこみ、もはや失うものなどないと思い上がり。そして、本当に大事なものは気づいたその瞬間に失っていた。
 どれくらい時間がたっただろうか。
 ふと、リーゼの方を見ると昨日からの疲れか、軽い寝息を立てて眠っている。
レイヴンは今日何度目かの溜息をつく。思い出したように空腹感がのぼってきた。レイヴンはリーゼが作った粥の入ったカップに手を伸ばす。
冷え切っていたが何も食べないよりいい。シャドーがいつも、どこからか自分の食糧を調達してきたことを思い出す。一口、口にする。
 「不味い」
 一瞬、毒でも盛られたかとも思ったが、いまのリーゼが自分に毒を盛る理由はない。
どういうわけか、ひどく塩辛い。保存食の粥など、誰が作っても同じはずなのに。
 こいつは、味覚音痴なのだろうか。
だが、ひどい空腹のため、結局、全部食べてしまった。
 それにしても、不味かった。
 しばらくすると、リーゼがゆっくりとレイヴンの方にもたれてきた。リーゼの軽い体重がかかり、艶のある青い髪がレイヴンの頬に触れる。少々くすぐったいが、悪い感じはしない。リーゼの髪はどこか懐かしい、いい匂いがした。久しく忘れていた他人の温度が今日は不思議にうっとおしくない。一枚の大きな毛布を身体にかけ、リーゼにもかけてやる。何か自分がひどく下らないことをしているという気がしたが、反対に自然なことをしているようにも思えた。
気のせいか、寒さが少しばかり和らいだ感じがする。
レイヴンは眼を閉じ、眠りに落ちる前に呟いた。
シャドー・・・ 
どこかでシャドーが応えたような気がした。