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writer:菊月めいさん
category : ZOIDS小説

「…俺の家だよ」
そう言って青年は地面に横たわる相棒を見やる。
返事は、ない。
昨日までは確かに隣で星空を見上げていた自分の影。
もう二度と、二度と自分の後をついて来ることはないだろう。
涙を流し、声を限りにその名を叫んで、叫んで、叫んで、消えゆく魂を呼び続けた。
けれど相棒は腕の中で眠ったまま、ついに戻っては来なかった。
鋼の体にも微かな体温があったということ。
石のように冷たい体を抱いて初めて気が付いた。

久方振りの家は、幾分荒れてはいたものの、やはり昔のままだった。
大好きだった、壁に掛けられた大きな絵。
よく飛び跳ねて叱られたソファー。
記憶の彼方に埋もれていた思い出が次々とよみがえってくる。
何もかもが自分に優しく、温かかった日々。
「父さんと母さんはここでオーガノイドの研究をしてたんだ。…そしてオーガノイドに……殺された」
最後の思い出は、父さんと見た満天の星空。
あの日は特に星がきれいで、流れ星がいくつも見えた。
―――流れ星はね、願い事を叶えてくれるんだよ。
いつだったか、父さんがそう教えてくれた。流れる星に三回願うとそれが叶えられると。
だから自分はどうにかして願い事を唱えようと、毎晩遅くまで空を睨んでいたのを覚えている。
願い事はいつも決まっていた。
―――とうさんとかあさんのオーガノイドのけんきゅうが、はやくおわりますように。
あの頃の自分にとっては、父さんと母さんが全てだった。
それゆえ、自分から父さんと母さんを奪うオーガノイドは好きではなかった。
「ぼく、ゾイドすきじゃないもん」
親の愛情を横取りされてしまう寂しさから何度も口にしたこの言葉。
決して本心から言っていた訳ではなかった。
オーガノイドのことは好きではなかったが、自分とは関係ないものだと思っていた。
どちらかというと、これは拗ねる時の決まり文句であり、甘える為の口実であり、そして奪われた愛情を取り返してくれる、魔法の呪文だった。
こう言って拗ねて見せれば、二人はいつでもこちらを振り返ってくれた。
それから優しく頭をなでて、微笑みかけてくれた。
あの夜も、父さんはすまなそうに笑って、そのあとにとっておきの言葉を続けた。
「そうだ、あのオーガノイドの研究が終わったら、みんなでピクニックへ行こう」
嬉しそうにうなずく自分を見て、父さんはいたずらっぽく片目をつむってみせた。
その仕草は、絶対に約束は破らない、という二人のきまりだった。
―――はやくオーガノイドのけんきゅうがおわりますように。
すっかり機嫌を直した自分は、一人になった屋上で星を見上げながら、今夜も流れ星を待っていようかなどと考えていた。
幸せの果てが近づいているということを疑いもせずに。
流れ星は不幸の前兆である、という昔からの言い伝えを聞いたことがある。
案外、それは迷信ではなかったのかもしれない。
自分の願った通り、オーガノイドの研究は間もなく終わりを迎えた。
研究者の死という、自分の思ってもみなかったかたちで。
父さんとの約束は、その夜、果たされることなく、破られることすらないままに、
消えた。
「流れ星はね、願い事を叶えてくれるんだよ」
―――嘘だ!あんなにお願いしたじゃないか!!
「はやくオーガノイドのけんきゅうがおわりますように」
―――あんなに、あんなにお願い・………した、から・…・…・……?
…・…僕の、せい・…?僕が流れ星にお願いしたから?
僕がお願いしなければ、カプセルは割れたりしなかった?
僕がいなければ、二人は死ななかった?
僕のせいで、僕さえいなければ、僕が、僕が・…・…・…!
誰かのせいにしなければ、おかしくなりそうだった。
自分を許せなくなる前に誰でもいいから否定して欲しかった。
でも、僕は、独りだった。
独りの僕には狂うことすらも許されてはいなかった。
―――違う!!!
オーガノイドがいなければ、僕はあんなお願いなんてしなかった。
オーガノイドがいなければ、とうさんもかあさんも死ななかった。
オーガノイドさえいなければ、僕はピクニックに行けたんだ。
悲しみを憎しみに変えること、あの時の自分にはもう、それしか思いつかなかった。
―――僕のせいじゃない。僕は、僕は・…・…
「…僕はゾイドが嫌いだ」

孤児になった自分の新しい保護者は、見たこともないような、真っ白な人だった。
透き通るような白い肌、地に着くほどの銀の髪、そして血のように紅い目。
何もかもが父さんとは違っていた。
「黒い髪のレイヴン。…良い名だろう?」
子供が親から初めて受け取る愛情、それが名前だという。
禍を招く闇色の鳥の名を与えたあの人にとって、この名はどういう意味を持っていたのだろうか。
何にせよ、あの人の保護下に入るより他に幼い子供が生きていく道はなかっただろう。
自分はそれまでの名を捨て、それまでの自分を捨ててあの人のもとで暮らすことになった。
しかし広すぎる部屋と見知らぬ大人達、あたりに漂う冷たい緊張感は、当時の自分にとってはひどく疲れるものだった。
加えて、唯一頼れる存在である父親は、自分のことをほとんど見向きもしなかった。
ピクニックの代わりに、一度だけ連れて行ってくれた場所は、調査中の遺跡だった。
そこで自分を見つめる代わりに、父親が求めていたものは、あのオーガノイド。
寂しくないわけがなかった。
振り向いてほしくて、微笑んでほしくて。ただそれだけで、父親にあの言葉を呟いた。
―――父さん、ゾイドばかり見ないで。こっちを向いて。僕を見て…・…・…
「…僕はゾイドが嫌いだ」
「――そうか」
父親は、嫌いなゾイドを殺す為のゾイドの駆り方を学ばせた。
「僕はゾイドが嫌いだ」
そして自分のためにと最新鋭のゾイドを用意させた。
何度言ってもその真意は空回りして父親の胸には届かずに。
「ゾイドなんか…大嫌いだ」
もう何度繰り返したか分からなくなった頃、父親は黒いオーガノイドを連れてきた。
大嫌いなゾイドをより多く殺せるようにと。
―――違う。僕はゾイドを壊したいんじゃない。僕が欲しいのはオーガノイドじゃない。
ゾイドなんか壊せなくても、傍にいてくれたらそれでいいのに。
気付いて。本当は僕、本当は―――
そして吐き出す、いつもの言葉。
「プロイツェン。僕は……ゾイドが嫌いだ」
いつの間にか口癖になってしまった。
昔のように自分を振り返ってくれる人はもういない。
あるのは父親のくれた黒いオーガノイドと殺戮のためのゾイド、それだけだった。
―――苛々する。愛情など、人の温もりなど、とうに諦めたはずなのに…
繰り返すほどに遠ざかる愛情。しかしその言葉のほかに愛を求める術を知らなかった。
「僕はゾイドが嫌いだ」
数日後、父親から初めての戦場への派遣の命が下された。
自分の大嫌いなゾイドを殺せる戦場に。

「そうだ、お前に名前を付けないとね」
明日には帝都を発つ。しばらくはこの黒いオーガノイドだけが話し相手になるだろう。
大嫌いなオーガノイド、僕の孤独の元凶。
「……お前は…シャドーだ。―――良い名前だろう?」
光の中では生きてゆけない。だが闇の中ではとけてしまう、影。
禍の象徴、喜ばれざる存在、招かれざる存在。そう・…僕と、同じ。
あの人もこんな風にして僕の名を選んだのかもしれない。
少し愉快な気分になった。
それまで避けていた星空が、その夜はきれいに見えた。
「来い、シャドー」

あの夜からシャドーはずっと俺の後をついてきた。忠実な、俺の影として。
どんなに突き放しても、罵声を浴びせても、気付けばいつも傍にいた。
俺の精神が焼き切れたその時でさえも。
シャドーはどんな目で俺を見ていたのだろう。甘える術を失って、ただひたすらにゾイドを壊し、それでも独りになりたくなくて、憎しみの言葉を吐きつづけた
俺を。
呼べば必ず傍にいた。
いつまでも傍にいた。
まるで俺の気持ち全てを見抜いているかのように。
自分以外の者に弱みをさらけ出すことなど嫌でたまらなかった筈なのに、自分の何もかもを受けいれ優しく見守ってくれるシャドーの存在は心地良かった。
「俺はゾイドが嫌いだ」
何時の間にか言わなくなっていた。
それは俺が強くなったからだと思っていた。
俺には温もりなど要らない、独りでもこの先ずっと大丈夫だと。
これまで俺は独りだと思っていた。人の温もりを忘れた、寂しい存在だと信じていた。
違う。俺はいつもシャドーと一緒だった。避けていた星空を見上げることが出来たのは、闇でも消えない影が傍にいたから、独りじゃなかったからだ。
こんなに苦しいのは初めてだった。
こんなに寒いのは初めてだった。
シャドーがいない。それだけで。

「…・…独りは、嫌だ…・…・…」

今の彼にはもう、僅かばかりの鋼の温もりすらも残されてはいない。
目の前に横たわったまま動かなくなってしまった相棒を見つめ、彼は静かに泣いた。

―――シャドー…、独りに、しないで……………・……

                            End